雑記

「神はいつから存在するか」みたいな話

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どうも、明日バイトで絶賛つらみ中のやぎこちゃんです。
さて今日は前回の記事で言った通り、模試中のヒマな時間に考えた自分なりの「見えざる者」への考えというか、そういった何かを綴っていこうかと。
ま、つまりはこのときこういうこと考えてたんだよ~みたいな備忘録的なアレです。

注:
やぎこちゃんは日本人らしく(?)無宗教を地で行ってる人間ですので、残念ながら神様が七日間で世界を創ったとかそういう話は全く信じてません。
あと、これまた残念ながら、宗教ネタには全く詳しくありません。せいぜい自分がムハンマドの生まれ変わりじゃないと知ってるくらいです。
あくまでも、「ゆるい有神論と科学論を前提にした屁理屈」としてご覧下さい

で、本題。

話は模試前日の夕方ごろ、翌日の試験に向けて頭に生物の用語を叩き込んでた時のことです。
オパーリンって人が考えたコアセルベート説っていうのが出てきてて、それは「偶然」アミノ酸とかRNAとかの高分子が集まって膜を成して、一つの胞となったのが生物の起源だーっていう説なんですけども。

やぎこちゃん、参考書とにらめっこしながらふと思ったんです。
「……こんな上手い話、あるのか?」と。

もちろん数億年単位の話だし、一度二度はこういう発生もあったのかもしれないけども。
ですが、こんなただの高分子の塊が「偶然」あちらこちらで作られて、「偶然」それが自己複製能力を持ち、「偶然」様々な器官を得て今に至る。
いやいや、こんな話ありえないでしょうよ、っていう話。
このときはぼんやり宇宙から飛んできた説とかも思い浮かべつつ、「いやじゃあその飛んできた生物はどうやって作られたんだよ」っていうツッコミ、ひいては世界は無限年前からあったんじゃないか……?なんていう、とりとめも根拠も無い訳分からない考えで終わったんです。

が、そのモヤモヤは思わぬところで再燃します。
翌日の模試本番、一時間目の地歴公民のお時間のこと。
現代社会というクソゆとり教科を選んでることもあり、ものの20分ほどで全ての回答が終わったやぎこちゃん。そんなこんなで、めちゃくちゃ暇を持て余してる時のことでした。
ふと、頭の中に一つの疑問が浮かび上がります。
「いつから神は存在したのか?」と。

ということで、やぎこちゃんの妄想劇場、はじまりはじまりー。わーい。

さて、ここまで話してきたところで、まずはこの話の前提条件みたいなものを。

・ここでの「神」は一神教的なモノ、八百万的なモノを含む「目に見えないけどなぜか古くから今に至るまで崇め称えられてきた何か」とします。その辺よく分からないので……。なので、神と仏の違いを細かく考えたりとかユダヤとキリストの差異を論じたりとかはしないです
・無神論は(それ言っちゃうと悪魔の証明になって手に負えなくなるので)基本的に考えないこととします。あくまでも、少なくともそれに準じた「何か」があるという前提
・話の主な論点は、「果たして、神とはいつからいた存在なのか?」という点。
・その疑問の理由としては、「なぜ神は137億年もかけて今の宇宙を形作り、46億年もかけて今の地球を形作っていったのか。もしも神が創世主だと言うのなら、その御力でもっと時間を短縮させても良いのではないか?」という至極単純なもの。
・よって、「『神』がいつから存在するか」という答えは、上の疑問を(形式上にでも)満たすものとする。言っちゃえば自分が満足すればそれでよし。

……もはやもう既にいろんな考え方とかがゴッチャになってますが、まあカトリックでもムスリムでもない、しがないジャパニーズな浪人生なので大目に見てください。
あ、そちらの方々からツッコミが入ったりしたら遠慮なく修正訂正しますのでご容赦を。

さて、まずやぎこちゃんは議論のとっかかりとして、一つの仮説を立てました。
それは、「生命の誕生と共にそういう存在も出来ていった説」です。
つまり、上で言ったようなコアセルベートやらなんやらは本当に偶然の産物で(もしくはもっと違う方法で生命が誕生してきていて)、それらが生命活動を停止した瞬間に違う次元みたいなものに送り込まれ(そこがいわゆる霊界みたいなもの)、その世界の中で上に立った存在が所謂神だという説。
ま、おそらく結構オーソドックスな考えだとは思います。

で、この説にはいくつか疑問が生じます。
一つ目、その違う次元って何っていうお話。神の存在云々の前に、まずはそこから論じるべきだよねっていうのが至極全うな意見だと思うんですが。
まあこれは、物理に詳しくないことを逆手にとってビッグバンやら何かで出来たナニカっていう風に逃げさせてください。で、何やらそういう不思議な世界があるんだよくらいなアレで。
26次元まであるって話も聞きますし、ね?(てきとう)

でもって二つ目、じゃあそのビッグバンはどうやって生じたのって話。
確かアレ、10のマイナス何十乗秒くらいが経過してからまでは計算されてるんですけど、その前がどうなってたかってのはまだ分からないんですよね。
ビッグバンが世界の始まりとして、その前にも神はいたか?という疑問にセオリー通りYESと答えると「じゃあいつ神は作られたのか」という当初の疑問になって矛盾し、前提通りNOと答えると「じゃあビッグバンって何がきっかけで起こったのよ、また『偶然』?」っていう疑問に循環していきます。
ということで、ここでやぎこちゃん詰み。次の説を考えます。

で、次の説が「エセ無神論説」。
とどのつまり、まだ解明されてない物理法則みたいなのがあって、それがあまりにも今の世界にとって都合のいい法則だったので(もしくはその法則に都合がよいように世界が象られていったので)それを神と呼んだ……みたいな話。
でもそれって余りに非現実的な話だし、少なくとも伝承で伝えられてきた神様ってのは物理法則に反することばっかやってたりするし。

と、そんなことをモヤモヤ考えてるうちに、そもそも神様っていうのを命として捉えるべきか、単に概念として捉えるべきか?っていう壁にぶち当たったったわけです。
一応生物学的には、「自己非自己を隔てる境界がある」「自己複製をする」「エネルギー代謝を行う」の三つで生命だと言われてはいますが、神様なる存在はこれに全く当てはまらないわけで、でもこれを否定して上の説を推し進めたとて、そんな都合のいい法則あったらそもそももう既に予測されてるか証明されてるんでねえの?っていう疑問も払拭できず。
ということでいろいろ考えがこんがらがったので、この説はいったん保留。次の説へ。

で、これが最後の説で、「シュレディンガーの神説」っていう、なんか厨二系ラノベのタイトルにでもありそうな名前の説。
これはまあ、とどのつまりシュレディンガーの猫と同じ話でして。
神っていうのがいるのかいないのかはさておき、観測した時点でその存在の有無が決まるっていう説。
……正直、これをもやっと思いついたときは「俺って疲れてるのかな;」とも思ったりもしたんですが、案外これがしっくりくる。
仮に神という存在があったとして、その観測の仕方とかタイミングとかで見え方とか在り方が変わっていて、でもってだからみんな言ってることが食い違うし存在の有無さえ認識に差異が生じるんじゃないか、っていう。

まあもちろん、この考えにも自分なりの反論というかウィークポイントがあって。
第一に、だからその存在はいったい何で、いつが発祥なんだって話。なんだかすっかり論点がズレてる。
これには、「そもそもその発祥でさえ観測によって変わってくる」っていうトンデモ説を提唱したいと思います。その人にとって昨日それが生まれたのだと思えば、生まれたのは昨日かもしれないし、果たしてそれは遥か遠い昔かもしれない。上手く言ったようでなんにも解決してないけど。

でもって二つ目のツッコミポイント、じゃあその観測によって見方が変わる、「神」とやらの正体は果たしてどのようなモノなのか?っていう話。
で、ここで上で述べた「エセ無神論説」が活きてきます。
つまり、まだ何も分かってない真理のようなもんが存在して、そいつの観測方法次第でそれがどう見えるかなんて分からなくなる、だから未だそれが何も解明されてないんだ……っていう、結論ありきで根拠を述べてるような詭弁ではあるんですけども。
でも、これって案外名案じゃないかなって。いや、ぜんぜん名案じゃないんですけど、なんとなく自分の腹の中にすとんと納まったというかなんというか。

それでですね、その「真理」というワードを聞いてふと思いついたのが、マンガ「鋼の錬金術師」に登場する真理さん。あのマリモみたいな頭したお方です。
あの方、途中で「俺は全であり一であり、真理であり神であり~」みたいな趣旨の内容のセリフ言ってるじゃないですか。
アレアレ、あんな存在が遠い昔からいて神と呼ばれてるんでねえの?っていう。
でもって、だからいつからいるのって言われたら「そりゃ観測された時からだからお前にとっちゃ18年前なんじゃね」っていう逃げに近い切り返しも出来る。
よっしゃ解決だ!……とも思ったのですが。いやまあ当たり前のごとく、そんなんじゃ納得は出来ない訳でして。
もうちょい論を深めていこうかと思います。

哲学者であるデカルトが言った言葉に、「我思う、故に我在り」という言葉があります。
一番確かなことって自分の意識とか考えで、それ以外って(自分の肉体含め)全部幻でもおかしくないんじゃねえの?っていう意味だと捉えてるんですが、これってこういった神様的な存在にも当てはまる気がしてですね。
もし神様がいたとして、その神様が何かを思い考えるからこそこの世界は存在するんだ、というなんともファンタスティックな考えが僕の中で燃え上がったんですね。もう論理の飛躍がすごい。
つまり、この世界はそういった存在の思念というかなんというか、そういったのから出来てるんじゃね?……とも思ったわけです。

でもまあ、さて真理さん的な存在があったとして、その存在が何かを考えることでこの世界は成り立っているとする。
しかし、そもそも生命として扱っていいのか分からない神にそういった意識的なモノを与えてもいいのだろうか?といった理性的な考えも捨てきることは出来ず。
そしてお決まりのように、これも「だからその存在の正体はなんだよ」となるわけで。
またも循環論法に陥ってしまいました。

そして、試験終了間際にふと至った、一つの結論。
それは、「この世界こそ神なのでは?」という考え。
ベースは上で述べたシュレディンガー論ですが、この世界をそういった「神」だったり「真理」だったりに据えて、この世界に存在している自分たちこそが神の思考であり意志であり、我々が何かを思うこそこの世界は存在しているのではないか、というような考えです。
つまり一番最初の「神はいつから存在したのか?」という問いに対しての答えは、「何かを考えて初めてそれは存在すると言っていいのだから、それは自分が観測した直後のことだ。ビッグバン当初にはビッグバン当初の、1年前には1年前の世界が存在したし、それを(数式を通してでも)観測しているのだから、果たしてそれを神とは呼べないだろうか?」というもの。
そう、世界こそ神!What a wonderful world!!

……なんだかえらくこじつけというか、辻褄が合ってない気もしないでもないけど、まあこれが40分間で18歳浪人生が至れる論理展開ということで何卒ご容赦を。

てことで、なんだか久々に頭を使った気もする今回のお話しでした。
めっちゃ個人的な意見としては、それでもやっぱり神様仏様的な存在はいて欲しいなって思いますし、そもそも自分自身心霊的なのとかそういった話は滅法信じちゃうタイプなんですけどね。
やっぱり理性的に何かを伝えるというか記すって、すごい難しいですよねぇ。

うーん、やっぱよく分からないなぁ、こういう話。
……ま、楽しいからいっか(考えの放棄)

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